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ナオティがこれまで考えてきたことや経験してきたこと、興味などをネタにしていろいろなことを書いていきます。

コンビニ店員編特別回:2011年3月11日、あの日の僕

こんばんは、みなさん。だいぶ久しぶりの投稿になります。

今日は3月11日ということで、おそらく多くの人が7年前の震災のことを考えていたのではないでしょうか。

 

僕もやはり7年前の震災の時のことを思い出さずにはいられませんでした。

そこで、今日はあの震災のあった日の話をします。

 

2011年当時、僕は東京に住んでいました。それで、都内のあるミニストップで働いていました。

 

あの3月11日、金曜だったその日も僕は朝から夕方までのシフトでコンビニのレジに立っていました。その日も夕方の5時まで仕事をすれば普通に家に帰るということになるはずでした。

 

14時46分ごろ、僕はペットボトル飲料の後ろで飲料の補充をしていました。レジには同じシフトに入っていて、先輩の主婦の方が番をしていました。

その時、足元が一瞬ぐらついたような感覚に襲われました。最初は「きっと連日の仕事で疲れているのだろう」と思ったのですが、それから間もなくブザー(レジで鳴らすもの)がけたたましく鳴ったので、「またレジが混んだか、ホットドッグのオーダーとかが入ったのかな*」と思いながらレジの方に歩きました。

(*ミニストップではソフトクリームとかホットドッグはオーダーを受けてから出すことになっています。)

 

ところが、売り場に出てみるとレジも混んでいないどころか、お客さんもいない。どうしたのだろうとレジの方に歩いていくと、そのレジの番をしていた先輩が「ナオティくん、地震地震!」と叫ぶのです。

 

それを聞いた途端、今まで経験したことのない揺れ(それまでで経験したことがあるのは大きくても震度4程度)が襲ってきました。並べてあったカップラーメンやスナック菓子が雪崩を打って崩れてきたのを覚えています。

 

揺れは30秒から1分ほど続いたでしょうか、ようやく揺れが収まった後で事務所にいたマネージャーもやってきてあわててわれわれが大丈夫かどうか確認を取っていました。

 

ちょうどお客さんが2,3人入ってきており、その方たちと「大きな揺れでしたね・・・」と話し合っているうちに、もう一度大きな揺れが来ました。その5分くらいあとにオーナーがあわてて自宅から駆けつけてきました。その日オーナーは休みだったのですが、この揺れであわててやってきたという具合です。

 

オーナーからはすぐにいったんお客さんに外に出てもらったうえで、店内でガラスなどが割れてないか見てくるよう言われました。それで、お客さんにはいったん外に出てもらい、店を一時的に閉めて、破損個所がないかを見に行きました。

 

結果としては、どこも異常はなかったのですぐに店の営業を再開しましたが、それからが大変でした。どうやらすぐ近くの駅が閉鎖されたために、多くの人が立ち往生する状況となったのです。

 

しかも、大きな地震があったということで多くの人が店で売っていた食料をなるべく多く買っていったので、ありったけの在庫のカップめんをどんどん棚に置いていくのですが、それでも足りませんでした。

 

安全点検のため、一回店を閉じた後に営業を再開したのが15時半ごろだったのですが、それからずっとレジから動けない状態が続きました。理由は簡単で、それだけお客さんが殺到したためです。

 

少し落ち着いたところでお客さんに外の状況を聞いたところ、電車が全部止まっているということだけは聞けました。

 

そういう状況でしたので、夕勤スタッフが来たのも6時くらいだったような気がします。それでも帰れなかったほど、店がすさまじく混んでいたわけです。

 

夕方7時半ごろになってようやく休憩に行けるということになった時、休憩室でようやく親に電話をしました。電話に出た母親がホッとしたような声で「こっちから何度か電話かけたんだけど全然つながらなくて」という話をしてました。やはり、災害時だと電話が込み合うんでしょうか。

 

んで、僕の方は「ずっとレジに立っていたので外の様子がよくわからなかったんだ。なんかビルが倒壊したって言ってる?」という風に話すと、「東北の方がひどいみたい」という状況でした。それで自分が今置かれている状況がちょっとずつわかってきました。

 

休憩を終えてレジに戻ると、オーナーから「今日はもう帰りな」という話になりました。考えてみると、この時点で夜の8時だったので、都合3時間ほど残業していたことになります。夕勤の人たちもいることだし、後のことは任せて帰ることになりました。

 

しかし、帰ろうとして気付いたのですが、その日の僕は電車で店に来ていて、現状電車が止まっている状態では家まで歩くしかない、という状況でした。さすがに2時間はかかるかなとは思ったのですが、意を決して歩き出しました。

 

30分ほど歩いて新宿の東側の入り口に差し掛かった時、やはり電車が止まっているために歩いて帰るなりする羽目になった人たちが行列となっていました。結局大通りをこの人ごみの中で歩くことになったのです。

 

途中、あるお茶屋さんで休憩して、そこに置いてあるテレビを見て、ようやく何が起きているのかがつかめました。東北の方の沿岸部が津波でやられていたり、火事が起きていたり、という状態がスクリーン越しに映し出されていました。

 

さらに、1時間半ほど歩いてようやく家の最寄り駅の商店街までたどり着きましたが、飲食店はすべて閉まっていました。地震の影響で早々と閉めたためです。

 

帰り道にコンビニに来ても、弁当や飲み物はあらかた売り切れているという状況でした。やっと、カップめんならぬカップうどんを買って家に着くと、やはり地震の揺れの影響でガスが止まっていたので、ボタンを押して回復させてようやく遅い夕食にありつけました。ちなみに、わが家の方は何もものが落ちていなくて無事でした。

 

あらためてテレビをつけるとやはりひどいありさまでした。当然ながらどのチャンネルも地震関係のニュースばかりでした。

 

ちなみに、次の日もシフトに入っていましたが、電車が止まっていたので自転車で移動しました。自身の次の日だったことと、土曜だったこともあり、いつも以上に大通りが静かでした。店についてオーナーに挨拶しようと事務所に入ると、「ああ、ナオティくん来れたんだね」と安どしたような口調で言っていました。

 

僕が帰った後、マネージャーたちはどうにか車で帰ったらしいのですが、途中で渋滞にはまって家に着いたのが夜中の3時ごろだったそうです。

 

売り場を見てもやはり弁当などはありませんでした。地震による混乱と、被災地への援助物資を優先した関係でものが届かない状態だったのです。そのおかげか、その日の仕事はあまりにも暇そのものでした。お客さんが来ても、店内を一周して帰っていくということも少なくなかったほどです。

 

とまあ、これが7年前の震災の日の僕の状況でした。3月11日が毎年やってくるたびに「あの時はああいう状況だったな」と思い出してばかりです。でも、逆にいうと、お客さんにとっては災害の時はコンビニがあてになる、ということでもあるのでしょう。店員の方は大変ですけどね。

 

震災の日のことの後日談はまたいずれ書きたいと思います。それではまた。